Diary 2005. 2

メニューに戻る
2月11日 (金)  

今更歩ける可能性があると言われても

「この脚で歩けないのが不思議だ」
子供のころから校医や整形外科医に何度も言われてた。こう言うとなんだかさぼってたよーな感じ。でも未だ自我の目覚めがないうちからリハビリをやってた。もともとこの左股関節も中学のとき立位保持の訓練をやって痛めたもの。そのときも手術の話もあったけど、進路のこともあったし、障害をもつ原因が出生時に使った麻酔によるものだからやめたらしい。中学高校と3年間炎症止めと筋肉弛緩剤を飲む日々となった。高校のなかばすぎであまりにも眠いんでやめた。

大学時代は寒いときたまに痛むだけで、「この世の春」を謳歌しまくった(爆笑)。だから大学の友達にはあまり言ってなかった。事故ってから寒いときカラダが痛むというやつには、「実は・・・」と言ったけど。

昨日山梨にいった。PTに「手術をして痛みがなくなり、周りの筋肉が柔らかくなり歩けるようになる可能性もあります」と言われた。今更ねーどーでもいいというか、バランスを取るために今レントゲンでみて異常無しだと言われてる首をやられてもしゃーないし、今まで車椅子で暴れて来たので歩くことで行動を制限されるのはまっぴらごめんだと、冷静すぎるRayがいるのであった(爆笑)。それより楽に寝返りができて、四つん這いができて、トイレに一人で立ってすわれるようになるのが、重要なんすよ、まじで^^;


2月14日 (月)  

入院1カ月前

今日は手術する病院へ通院。手術できるかの検査の結果を聞きに行った。呼吸の検査はうまく深呼吸できないため、測定不能だがそれはしゃーないということで、検尿以外はパス。輸血も自己血でぎりぎりイケルだろうということだった。検尿は今日出したんでまだ結果は出てない。手術は医師の都合で1日延びた。手術自体は一般的なもので3時間くらいで終わるものであるが、普通の医師は脳性麻痺の患者には手術後の管理が難しく勧めないらしい。強い不随意運動(自分の意識と関係なく体が動いてしまう脳性麻痺アテトーゼ型の特徴)で手術後の股関節固定ができるかどうか問題だと、主治医と一緒に執刀するドクター自身が心配していた(オイオイ頼むよ、それはわかってるんだからもう)。もう一度山梨の主治医と会うことに。


2月28日 (月)  

仕事納め

今日は大口のクライアントとの手術前最後の日。たぶん先週やっちゃったので仕事は来ないだろう。バイト扱いなのに「退院したらまたよろしく」と休職届け用紙が送られて来た。休職の挨拶メールを書いたら「ヘルプデスク内では既に小林さんは一員ですよ!(日々仕事が丁寧って話題に上ってます!)」と。まじでうれしい。復帰できる環境はあるから、復帰できるようにしたいよな。骨よ、頼む、ひっついてくれー。


2005/2
SuMoTuWeThFrSa
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728     

前月     翌月