Diary 2005. 5

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5月1日 (日)  

ワイヤーを口に...

昨日糖尿のバーサンが退院したことによって、423号室にはRayの入院した頃を知る患者はいなくなった。と思った矢先、主任のOさんがこう言った。
「Rayちゃんは入院してきた頃おとなしい人だと思ってたのに、どーしてこんなに賑やかになっちゃったの?」
「だってパソコンもやれたし、96歳・86歳・84歳・74歳のおばーさんにいきなり囲まれて騒ぐやつはいないっすよ。とんでもない世界に来てしまったと思ったんすから、マジで」
と正直に言ったら、Oさんだけではなく、U山さんもH田さんも爆笑。Oさんは続けてこう言った。
「今度ワイヤーを外す手術をR先生にしてもらうんでしょ? その時にそのワイヤーを口につけてもらいな(爆笑)」


5月2日 (月)  

お前がビビってどーすんだ

H田さんの手術が6日の午後に決まった。執刀医のH先生から手術後の可能性、いや危険性(血栓ができて心臓や脳に動いて固まると梗塞になる危険性があるので、手術後は患部ではない足首や足の指を動かせ、等)を聞いて、H田さんはビビりながら病室に戻って来た。そりゃ聞いたら怖いんだよな。
「それは大丈夫っすよ。確率低いし」
「そうだよ。今はそういうことを言わないと裁判で負けるので、一応手術を受ける人全員に言ってるんだよ」
とU山さんも安心させようとした。ところが麻酔のことや手術後の話になると、思い出してこういっちまった。。。
「直後に手術室で麻酔がきられ、術後2日はうなってたほど痛かったっすよ」。
ばーか、H田さんの3日後カンタンな手術を受けるお前がビビって、H田さんもビビらせてどーすんだ(爆笑)。


5月3日 (火)  

練習なんか必要あったのかよ^^;

「看護婦さん、あのガキたちをなんとかして注意してくださいよー」
この前病棟の男部屋のほうで、20〜30代の人の嘆きの声が聞こえた。『あのガキ』たちとは将来のJリーガーくんたち。「手術の後に乗るから、その練習」とか言って、車椅子をおもちゃにして遊んでいたらしい。そりゃ体力をもてあますよな(爆笑)。それよりナースに助けを求めるヤツの顔が見てみたい。なさけねー、ガキにナメられたということじゃん(爆笑)。

今日廊下を見ていたら、将来のJリーガーの1人が松葉杖で走っていた。
「U山さん、アノコは確かストレッチャーに運ばれ(手術し)たのは昨日でしたよね?」
自分の記憶を一瞬疑って、U山さんにきいた。
「そうだよね。若いってすばらしいねー」
車椅子の練習なんか必要あったのかよ(爆笑)。


5月4日 (水)  

音だけの花火

ドンドンドカーン。「花火の音じゃないっすか」と言ったのは夜7時半頃。「えーっどこどこ?」と窓際のH田さんが夜空を見て探した。「あー、あそこだ。私のとこが特等席みたいよ、U山さん。うーん、Rayちゃんのとこからは見えないな」、「あーきれいだね。方向的にどこらへんになるのかね」、「奥多摩かな」、「いやー、ゴールデンウィークに花火だから、横浜のシーパラあたりじゃないっすか。音だけっちゅーのが悔しいっす」と3人で騒いでたら、ナースのOさんがきて「うー、今のRayちゃんを動かせないから、ゴメンね」と言いながら、病室の電気を消してくれた。

桜といい花火といい、噂や音だけじゃ。。。まっ、日ごろの行いだろー(爆笑)。


5月5日 (木)  

30年後のハイジ

いつも白衣にズボン姿のナースのHさんがスカートをはいて現れた。「誰かに似てると思って、さっきから考えてたんだけどわかった。ハイジだ」と、隣の部屋の人がHさんに言ってるのが聞こえた。『アルプスの少女ハイジ』のことだ。小さいけど健康優良児らしいカラダつき(っていう言葉にしておきます^^;)に、かわいい瞳にスカートをはいてエプロン(ってゆうか白衣)。そうだそうだと、U山さんもH田さんもナットクしていた。でも少女・・・、「30年後のハイジですよね」とRayが言ったら大爆笑。

翌日Hさんが、「家で30年後のハイジのことを言ったら、娘に『お母さん、30年で足りるの』と言われた」と(爆笑)。オトナは毒舌を吐くツモリでも、わざと軽く見積もるんだよ^^;


5月6日 (金)  

整形外科医もつらいよ!

今日はH田さんの手術の日。午前中は前この部屋にいたT井さんの手術。2人共にH先生が担当医なので、H先生がメインの手術2連戦となる。うわーっ大変だ。周りの話を聞くと、整形外科にはあまり緊急手術はないらしい。骨折でも折った直後は患部が腫れるので切れないらしい。何日かは冷やしてからなんだって。まっ普通は直接命どーのこーのっていうことでもないし、計画が立つトコみたい。だけどそれと表裏一体ってゆーか、患者本人が口が達者な人達なので、口コミで評判の上下ははっきりする。患者が「整形外科医は口が悪い」というのは、元気な患者相手の職業病かもなと思ったりする^^;

H田さんは手術の後この病室に帰って来た。とても痛いらしいがうなってはいない。話す言葉が単語ではなく、ちゃんと文章になってるぞ。誰かとは全然違う。子供を産んだ人だからなのかな(爆笑)。


5月7日 (土)  

『人のふり見て我がふり直せ』

ミセスXの手術から10日が経った。相変わらず車椅子の移乗はナースの数が減ったものの、大騒ぎ。自分で動こうとはしないし、ナースの言ったことと反対のことをする。しかもナースによってナメていて、「失敗したらあんたの責任だから」とも言った。3分ごとにナースコールを押し「トイレに行きたい」と騒ぐのや、言ったことと反対のことをするとか、夜中独り言でない独り言を言うとかは、痴呆やもともとの持病が原因だと理解しようとしてはいる(でも・・・と言うカンジ^^;)。しかし、自分で動こうとはしないことと、人を見て「失敗したらあんたの責任だから」と言ったことは、おおもとの人間性じゃないのか〜と思うよ。『人のふり見て我がふり直せ』かー、と思ってたら、何日か後車椅子にスムーズに乗れるか不安になって来た(爆笑)。


5月8日 (日)  

腹へったー!

明日はワイヤーをはずす手術の日。午前中に始まって、準備を除いて正味30分のカンタンな手術だと言われても、6週間前の悪夢は強烈でいやでも蘇る。あーアレはもう勘弁だよ、マジで。隣の隣の部屋に、昔片方の股関節を壊しRAOを受け今回もう片方を同じ手術を受け、Rayと同じF病院にリハビリに行くWさんってすごいよな。まだお会いしてはいないんだけど(爆笑)。

消灯した後は禁飲食となり、明後日の朝まで。。。夕食は普通にごはんの大盛りをペロリたいらげた(爆笑)。明後日の朝まで食べられないと思うと、消灯前におなかがすいたんだけど^^;


5月9日 (月)  

♪調子こいてたせいで〜あっちこっちガタガタ(ボロボロ)〜 その1

手術当日。普通前の日に下剤を飲み朝出なかったら浣腸をして体内をカラにするが、このところ毎日出てるし、1回目の時に下剤を飲んで真夜中にトイレですげーピーヒョロピーたったので、真夜中に病室でか、、、と思ってしまい、浣腸一発勝負を懇願した(爆笑)。一発勝負は認められ、見事成功した(爆笑)。これらの戦いも、もうすぐ体を動かせトイレに行けるとなくなるのだ。うれしい。

手術も2度目もなると手術室の中を見渡せる程は余裕あるが、やがて全身麻酔をかけられ。。。気が付くと、、、あれっ痛くない。怖い程痛くないんだよ。骨と何かがぶつかる痛みもない(ソノ『何か』をはずしたんじゃんか^^; 皮膚から出っぱり触ると痛かったワイヤーを)。ウソみたいに痛くないやん。手術の後いつもの病室ではなく、機器を置くので個室に「一晩だけ」移された。

怖い程痛くなく、いつもイヤホンをつけてもらうのがめんどくさくて見ていなかったテレビを、個室だからイヤホンをしないで、夕方のニュースからみていた。このまま消灯後の『SMAP×SMAP』も見ちゃおうかと調子こいてたが、消灯前、おふくろが帰って行った直後、気持ち悪くなって吐いてしまった。胃袋はカラなので出てくるモノは胃液だけ。それでも何度も吐く。吐いたモノでシーツが冷たくなって、背中がゾクゾクしてくる。バカーっと思った。


5月10日 (火)  

まさしく、弘法も筆の誤り

昨夜の気持ち悪さを吹き飛ばすかのように食欲全開。。。のつもりが、ベッドを60度に起こして(久々に体を起こしたというカンジがした)、朝食を5〜6口食べたら喉が痛くなった。昨日の全身麻酔の時に、喉を傷つけたかもしれないというR先生。朝食は諦めた。でも昼食は全量摂取した^^;

R先生と言えば、昨日手術前の点滴の針を射しながら、「小林さんの血管に針を射した時、いつも『私って天才!』と思う」とまたおっしゃった。「でも3日前U山さんの点滴の時、失敗しましたよね^^;」とからかった(針を射していただきながら担当医をからかうヤツっていったい。。。)。「あーっアレは失敗したね^^;」。
U山さんは4月の終わりから毎日点滴をしている。毎日のことだから針を腕に残しておくが、3日もするとU山さんの腕が腫れて痛くなるらしい。U山さんの担当医のM先生や、H田さんの担当医のH先生が射してそうだから、そんなもんだとU山さん本人も思っていたらしい。ところが、、、R先生がソノ失敗の後射した針は6日ももったそうだ。やっぱり天才っす。


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